新興宗教信者の二世として産まれてしまった
元統一教会信者の二世が元総理大臣を銃撃したとテレビで持ちきりである。
テレビの取材を受けた元信者二世の女性は「してしまった事に対して肯定はできないが生い立ちに共感する部分はある」と言った。
わかると言ってしまえばお前は殺人を容認しているとTwitterで指摘されてしまうような世の中だけど、私はこの元信者二世の女性と同じような気持ちになって毎日ニュースを眺めている。
タイトル通り私はとある新興宗教の二世だ。脱会の手続きなどをしたことは無い為きっと入信した状態のままだと思われるので「元」はつけないでおく。
旧統一教会関連のニュースを見て私が二世として生きてきた上で新興宗教を信じた母との関係を記しておきたいと思い書いている。
先に言っておくが何億円の献金や家庭崩壊などの衝撃的な話はない。
私の母はとある新興宗教に私が産まれる前から入信しており現在も熱心に信仰中である。
父は母に暴力を振るい離婚しその後しばらくして死去したので母子家庭の一人っ子である。
最後に家族が揃っていた記憶は明け方布団で並んで寝ていたら馬乗りになった父が母の顔を何度も殴っていて、その後父が二度寝した所を母は私を連れて静かに教会へ逃げたことだ。
何かあれば母はいつも私に「祈りなさい」と言った。高いところにある神棚、毎日取り替える神酒代わりの水、枯れることのないいつも新鮮な榊、願い事を込めた大から小の並べられた御札。そこで毎日神棚の前に土下座してお祈りをした。
私は幼い頃事故にあい、それを目の前で見た母は私が死んだと思ったそうだ。しかし私は奇跡的に無傷だった。これを神様のおかげだと母は神に感謝し更に熱心な信者となった。今思えば離婚した時期と事故が起きた時はほぼ重なっている。
母との週末のお出かけはいつも教会。夏の旅行はバスで3泊4日かけた教団本部での滝行だった。
元々内気でコミュニケーションが上手でない上に週末は学校のクラスメイトとは遊べず、教会には嫌々連れてこられている為教会にも学校にもろくに友達はいなかった。
夏のバス旅行なんか最悪で、トイレも付いてない観光バスに見ず知らずの小中学生が詰められて片道12時間以上かけて車中泊で教団本部まで行くのだ。
本部に着いたら神様の功績のアニメを鑑賞したり神様の使っていた修行着や杖が飾られた美術館を回り丸一日を本部で過ごす。翌日は全国から集まった小中学生が揃って滝行を行う。ひたすら何も面白くなかったが道中高速道路から見える都会の風景や立ち寄るサービスエリアだけが楽しかった。
ちなみにこれは大人だけで行くバージョンもあり、私は大人に混じり何度もこれに同行させられた。いわゆる弾丸遠征状態で朝地元へ到着後に小学校へ行ったこともあった。
我が家の旅行は常にこれが定番だったし、思い出すと純粋に観光だけを楽しむ家族旅行には行ったことがなかった。
将来は巫女さんになりなさいねと何度も言われていたし、なりたいと言ったこともある。なりたいと自ら口にしたのは神様の事が大好きな母に喜んでほしいからだった。
ただ何故神様のところにいつも行くのかはいまいち理解出来なくて何かあればすぐ「祈りなさい」という母に「神様になんてお祈りしたらいいかわかんない!」と泣きながら大暴れしたことはあった。それでも母は私が嫌がっても信仰を止めることはなく「私の教え方が悪かったから信仰について1からもう一度教えてあげる」とはりきっていた。
幼い頃の事故について「あの時に貴方は死んでいたはずの命だったのよ」と母は私に何度も言う。
中学生の頃いじめられ不登校になりリストカットと自殺未遂を繰り返した私は「じゃああの時に死んでいたらよかったのに」と何度も思った。
神様が本当にいて私が守られていたのなら私はいじめにあっていないし、今もいじめてきたアイツらを恨まなくていいしフラッシュバックすら起こさなくてもいいはずだ。
何度か病を患い手術を受けているがそもそもの話神様が私をずっと守ってくれているのであれば病気すらしてないはずだ。
神様は私が一番辛い時に何も助けてくれなかったじゃないか。一体私の母は何を信じているんだろう?何に付き合わされているんだろう?と高校生位から思い始めることになる。
そこから教会には誘われても行かなくなり信仰からは距離を置いた。それでもテストでいい点をとる度に、何かの賞や資格をとる度に、病を克服するたびに母は「神様のおかげだね」と言った。
神様のおかげじゃなく私は私の努力として褒めてほしかった。
ちなみに献金関連の話だが母は年間数十万程度はつぎ込んでいただろう。
母は自営業をしていたし母子手当等もあっただろうが貯金は常になかった。金遣いが荒いわけでもなく祖父母と同居していて家賃や食費も必要なく割と質素な生活をしていたし私はお小遣いももらっていなかったのだが、高校以降の進学費は勿論用意されていなかったから進学費用は高校卒業後に水商売をして貯金した。何に使われていたのかははっきりとはわからないが今思うと献金だったのかなと思う。
希望した都会の学校に金銭的な問題から進学も出来ずクソみたいな田舎でやりたくもない水商売に従事して、学費を工面してもらう周囲の子がうらやましかったしそれが親として子にする当然の教育だと気付いた時になんで私はこんな目に合わなければいけないんだと毎日思っていたし母を恨むようになった。
しかしどんなに恨み言を伝えても母自身が何も変わらないことは分かっていたので貯金を持って地元を離れて県外の専門学校へ進学し資格を取得した。
そして現在、私は結婚し大事な夫と子どもがいる。
私が結婚することを決め夫を母に紹介する顔合わせの際に、母は「この子はずっと神様に守られてきました。信仰を続けることは譲れません」と言った。夫には前もって私の母が新興宗教の熱心な信者とは伝えてあったがこれには夫もドン引きである。
それでも結婚してくれた夫には心から感謝しているし、夫は何も言わず母の勧めた通りに神棚を家に置かせてくれている。母からすれば私がこんな寛容な夫と結婚出来たのも全て「神様のおかげ」になっているのは納得いかないが。
新興宗教は母の中で大事な一部でひとつの社会だ。
私は母と教団本部へ新幹線を使い同行してあげたりたまに実家に帰った際は教団支部へ顔を出している。
母はとても嬉しそうにしているし周囲の信者に私のことを毎回紹介するが、勿論普段は全くといっていい程信仰をしていない。信じているフリをしていると言った方が的確である。
普通ならもっと違った形で出来るはずだがそれが私にとっての母に対する親孝行であり、それ以外に母を喜ばせてあげる方法はよく分からない。
人間は脆い。
母は弱っている心をよりにもよって新興宗教で救われてしまった。きっと母にとって信仰は私の為でもあるのだ。自らの信仰が原因で私がこんな風に思って生きてきただなんて頭に過ぎってもいないだろう。
そして私も親になって思うことは、自分の子に私と同じような思いは絶対にさせたくないし新興宗教信仰による呪縛はここで断ち切りたいと思っている。
母はもう人生の2/3以上を新興宗教と共に生きてきてしまったから今更母から信仰を奪うつもりはないしきっと死ぬまで信者なんだろう。私も母が死ぬまで二世のままなんだろうと正直諦めている。
これだけ世を騒がせている新興宗教問題だが、それでも母が信じるものを否定せずにいるのがやはり私なりの親孝行なのかもしれない。
ただ頭の片隅でいつかの私が「こんな事を書いてると神様に見放されてしまうよ、神様からのエネルギーが切れてしまうって不幸になるよ」と警告を送ってきて謎の焦燥感と不安感にずっと駆られている。
この感情にはきっとまだまだ付き合わされるだろうし新興宗教を芯まですり込んだ母のことを私は許せないままだ。